二代目イ菱(中川重理)さんについて
2026年5月2日、二代目・イ菱(中川重理さん)のお孫さんである中川丈二さんから、デザート*スプーンにご連絡を頂きました。丈二さんは、重理さんの二男・好二さんの二男で、現在は岸和田市で鍼灸整骨院をやられています。
丈二さんは、最近になって、幼馴染の浅田千鶴さんから三味線を習い始められたばかりだそうで、浅田さんがその動機を尋ねると、祖父が常磐津の三味線を弾いていたこともあり、興味を持たれたとのこと。そして、お祖父様が藤八拳の家元をやられていたことも知らされたそうです。
浅田さんが「藤八拳」について、インターネットで調べると、デザート*スプーンのサイトの「戦前のイ菱倶樂部に関する情報提供をお願い」のページを見つけて下さり、それで最初にご連絡を頂いた。というわけです。
浅田さんには、丈二さんを繋いで下さったこと、心から感謝しております。
2026年5月17日、デザート*スプーンへ中川丈二さんにお越し頂けることになり、心弾ませながら、中川重理さんについて教えて頂きました。

1967年(昭和42年)発行の『現代・邦楽名鑑 第4』には、清元寿京として、中川重理さんの顔写真入りで経歴が記されていて、その資料を直前に入手していたのですが、そこに書かれた内容は生年などが間違っていました。正しい経歴をここに記します。
中川重理(なかがわ・しげり)
<経歴>
1900年(明治33年)2月13日
松尾長太郎とムメの二男として、高松市東浜町に生まれる。
1908年(明治41年)、8歳のとき
叔母クニの嫁ぎ先、中川富士松の養嗣子となり、大阪へ転居。
1930年(昭和5年)、30歳のとき
藤八拳を初代イ菱(戸尾久兵衛)に入門。二代目イ菱を襲名。
1931年(昭和6年)、31歳のとき
『藤八拳獨習』を出版。
1941年(昭和16年)3月6日、41歳のとき
夕刊大阪新聞主催で、東京、京都、大阪の拳会合同による「藤八拳の会」を大阪・松坂屋6階で開催。
1945年(昭和20年)8月15日、45歳のとき
終戦。大東亜戦争の影響で稽古人なく、イ菱倶樂部は消滅。
1948年(昭和23年)、12月、48歳のとき
家業の「京屋陶器店」を「株式会社京屋」に改組。
※その後「京屋」は、長女・富士子の夫、松尾潤二に移譲。
1977年(昭和52年)6月7日、77歳のとき
直腸癌で死去。
やはり戦争の爪痕は大きく、藤八拳どころではなくなり、誰も稽古しに来なくなり、イ菱倶樂部は消滅しています。どうりで戦後の足跡が見当たらないわけです。
戦後、中川重理さんは三味線に打ち込み、端唄、長唄、常磐津節、清元節を習得され、悠々自適な余生を過ごされたと聞きました。また、戦後は大阪市立精華小学校の初代PTA会長を務め、復興に尽力されたとのことです。
<芸歴>
・1925年(大正14年) 端唄と舞踊 師匠・山村
5年間修行 習得曲数:端唄65曲,俗曲37曲
・1950年(昭和25年) 長唄、今藤佐二郎に入門
名取:今藤イ菱 習得曲数:100曲
・1951年(昭和26年) 常磐津文規太夫に入門
名取:常磐津理規太夫 習得曲数:68曲
・1952年(昭和27年) 清元松寿太夫に入門
名取:清元寿京 習得曲数:34曲
・1954年(昭和29年) 新内、家元 大住太夫に入門
名取:新内大造 習得曲数:37曲
丈二さんが小学生の頃、重理さんがお亡くなりになるまで、ご一緒に住んでおられたこともあり、今でも重理さんのことを鮮明に覚えておられました。ただ、丈二さんにとって重理さんは近寄り難い存在でもあり、おばあちゃん子だったそうです。重理さんは、夕方に仕事を終えてお店を締めると、毎晩、着流しに着替えて、呑みに出掛けられていたそうで、若い頃のお茶屋遊びは圧巻だったそうですから、それが藤八拳を覚えるキッカケになったのでしょう。
店舗二階の住居部分の硝子障子を取り払うと大広間になったそうで、お正月になると、大勢の客人が集まり、それは賑やかだったそうです。
建物は、1957年(昭和32年)に新築されていることから、戦前、イ菱倶樂部の稽古場となっていた頃とは異なりますが、イメージが湧いてきます。
そして、現在でもその建物とお店が残っていると聞いて、とても驚きました。
現在と町名地番が異なることもあり、戦前の地図を図書館で閲覧し、場所を推定してから、そこを訪れてはいたのですが、まるでハズレてました(苦笑)。


現在でも、千日前道具屋筋商店街に「京屋」はあります。

前の屋号が「中ふじ」なのは、先代のお名前が、中川富士松さんだったからですね。
墓所も教えて頂きました。



墓石は、6区6番「に」の真ん中辺りにあります。
墓前で手を合わせ、イ菱倶樂部を復興させたこと、私が三代目・イ菱を勝手に継承していたことをご報告いたしました。
今回、中川丈二さんには、私たちではわからなかったことを教えて頂きました。
半ば諦めていただけに、奇跡が起こったかのようです。
拳番附や拳土俵(拳櫓)、イ菱倶樂部に関する資料は残っていないこともハッキリしました。
本当にありがたく、嬉しく思いました。

イ菱倶樂部 三代目・イ菱